※画像は1982年~のR1です。( 一部仕様が異なります)

Z1000R 諸元

発売年 1982年 生産 国内 全長 2240mm
全幅 820mm 全高 1230mm 重量 222kg
最高出力 102PS /
8,500rpm
最大
トルク
9.3kg·m /
7,000 rpm
エンジン 空冷4ストローク
DOHC2バルブ
並列4気筒
排気量 998cc 諸元表は1982年当時のものとなります。

サーキット走行やレースの練習のためではなく、カジュアルに乗ろうと思って手に入れたZ1100Rは、ガールフレンドとのタンデムが、じつに楽しかった……。私にとってZ1100Rは、若いひと時を謳歌する青春バイクだった。

丸から角、そしてレーサーレプリカへ

――1982年、カワサキ初のチャンピオン記念モデル、そして「レプリカ」と呼ばれるバイクの草分けとなるZ1000Rが発売された。そこには空冷Zでレースを制した、カワサキの喜びと自信が映し出されていた。

Z1000R

1972年に登場した900Super4[Z1]から始まったカワサキの「空冷Z」は、77年発売のZ1000で排気量を1015ccに拡大し、78年にはカフェレーサースタイルと一層パワーを増したZ1-Rに進化。そして1979年に、いわゆる「角Z」として有名なZ1000Mk.Ⅱが誕生。追走するライバル車を迎え撃つべくリファインを重ねていた。

当時アメリカでは、公道を走る市販バイクと同じシルエットを持つ車両で競われるロードレース「AMAスーパーバイク」が1976年から始まり、ドゥカティやBMW、日本製のビッグバイクが市販状態の姿で競い合うレースは大いに盛り上がった。カワサキは当初Z1000Mk.Ⅱで参戦。善戦してはいたが、そもそもレース参戦を視野に入れていないバイクで、スズキのGS1000など新型モデルと戦うのは厳しいものがあった。

その頃ヨーロッパでは耐久レースの人気が高まっており、こちらはホンダのワークスマシンRCBが猛威を振るい、同時開発したCB900Fが人気を博していた。そんな状況に終止符を打つため、カワサキはZ1~Z1000MK.Ⅱのエンジンから車体まで完全刷新したフルチェンジモデルのZ1000Jを1981年にリリースした。

Z1000R
Z1000R
Z1000R

レース規定を考慮したZ1000J

空冷4気筒の基本レイアウトは既存のZシリーズを踏襲するが、排気量をZ1000Mk.Ⅱの1015ccから998ccに縮小したのが大きな特徴。当時のAMAスーパーバイクの排気量上限は1025ccだったので、当初は排気量を変えずに開発を進めたが、ヨーロッパ耐久選手権などがTT-F1と統一した1000cc以下になる動きがあったため、後のレース規定に考慮したからだ。

Z1000Mk.Ⅱから998ccに縮小されたエンジン
負圧式のBS34キャブレター

吸排気バルブは挟み角を広げ、それぞれを大径化してリフト量も増加。カムシャフトの駆動はローラーチェーンからハイボチェーンに変更し、チェーンテンショナーの構造も変えて信頼性や耐久性を向上。組み立て式のクランクシャフトを強化し、クラッチのアフターハウジングをスチール製から軽量なアルミ製に変更。軽量化のためにキックアームも廃止し、既存のZシリーズよりエンジン単体で約7kgも軽くなっている。キャブレターは強制開閉式のVM28から負圧式のBS34に変更し、これらの大胆なリファインによって排気量が17cc減ったにもかかわらず9馬力アップの102馬力を発揮する。

ダブルクレードルフレームもレイアウトは既存のZシリーズを踏襲するが、ステアリングヘッドの周辺を中心に強度と剛性を高めるために補強板やパイプを追加。ダウンチューブも連結パイプを増やし、スイングアームのピボットプレートも大型化。また既存のZシリーズはエンジンをリジッドマウントしていたのに対し、Z1000Jでは高回転域の振動を緩和するため前側2カ所をラバーマウントとしている。これらの強化にも拘らず、Z1000Jの車両重量はZ1000Mk.Ⅱより15kgも軽量な230kgになっている。

エクステリアは丸目のヘッドライトに、燃料タンクやサイドカバー、テールカウルは角基調だが、Z1000Mk.Ⅱより現代的でコンサバなデザインが与えられた(アメリカ仕様には丸いディアドロップ型の燃料タンクを装備したモデルもあった)。

「R」を強調したエンブレム
「チャンピオンを記念するステッカー

ローソンレプリカの誕生

当時の日本ではZ1000Jは輸出モデルということもあり、あまり名の知られたモデルではなかった。しかしZ1000Jは発売年の1981年、エディ・ローソンのライディングによってAMAスーパーバイクでチャンピオンを獲得したことで、その様相は一変する。翌82年にAMAチャンピオンを記念したZ1000R[R1]ローソン・レプリカを限定発売したからだ。

Z1000R[R1]は、Z1000Jをベースに数々の専用装備が奢られる。オイルクーラーやリザーバータンク付きのリヤショック標準装備し、KERKER製の4-1集合マフラーを装着。段付きのシートもエディ・ローソンのレーサーを模した表皮と形状の専用品。そして角型ヘッドライトのビキニカウルを始め外装パーツをワークスカラーのライムグリーンにペイント。エンジンはクランクケースカバー類まで完全にブラックアウトし、キャブレターもブラック仕様。燃料タンク上には、エディ・ローソンのサインを沿えたスーパーバイクチャンピオンを記念するステッカーが貼られた。

KERKER製の4-1集合マフラー
リザーバー付きリヤショック

カワサキ初のチャンピオン記念モデルであり、販促用のカタログの表紙にも「LAWSON REPLICA」と書かれたレプリカの草分けとなるZ1000Rは注目を集めた。日本国内にも逆輸入され、その認知度を大いに高めた。

そして1982年シーズンのAMAスーパーバイクもエディ・ローソンがチャンピオンを獲得したため、翌83年はZ1000R[R2]を販売。車両のベースが83年型のZ1000Jのためメーターの形状が変更され、白×青のグラフィックのデザインが変わっている。カムシャフトとキャブレターの設定を変更し、最高出力がZ1000JやZ1000R[R1]より2馬力アップの104馬力になった。じつはエディ・ローソンが83年にヤマハに電撃移籍したため、カワサキはZ1000R[R2]を「スーパーバイク・レプリカ」と呼び、燃料タンク上の記念ステッカーからはエディ・ローソンのサインが消えている。

またヨーロッパで開催されていた世界耐久選手権では、チューニングしたZ1000Jのエンジンを搭載するレーシングマシンのKR1000が、1981年から83年まで3年連続でメーカータイトルを獲得。AMAスーパーバイクの成果と合わせ、レース参戦を視野に入れスポーツ志向で開発したZ1000Jの素性の良さを世に知らしめた。

その後カワサキはレースで得た知見や技術を投入し、かつ一般道やツーリングでの余裕を増すためにZ1000J系のエンジンを排気量1089ccに拡大。電子式燃料噴射を備えたZ1100GPやクルーザーのZ1100Spectreなど幅広く展開し、カウリングを装備したGPZ1100も登場した。そしてスーパーバイク・レプリカもZ1100Rとなって1984年に発売。マフラーはカワサキ製の左右2本出しで、前輪を18インチに変更し、最高出力は114馬力を発揮した。

ゴールドの19インチホイール
オイルクーラー
メーター

空冷Zの集大成そして時代は水冷へ

そして私はこの年、Z1100Rを購入した。プロとして意識してレース活動を始めた1984年だが、このバイクはレースや練習を考えたわけではなく、純粋に青春を謳歌するための選択だった。

とはいえレースで成績を出したZ1000Rは魅力的で、さらに排気量をアップしたZ1100Rには大きな期待があった。前輪が18インチになっているのも、当時の耐久レーサーなど大排気量レーシングマシンに通じるところがあり、ルックスとしてのバランスも自分好み。

ところがいざ走ると、思っていたよりマイルドで乗り心地がすごく良い。上体が起きたライディングポジションは快適で、厚みのあるパッセンジャーシートや掴みやすいグラブバーは、後席に座るガールフレンドにも好評だった。フレームもソフトで、それがかえってタイトなカーブの切り返しをスムーズにこなせたのも、タンデムランを楽しめた要因かもしれない。

ちなみに、同時期に友人がZ1000Rに乗っており、一緒にワインディングに走りに行った際に借りて乗ってみると、こちらはフロントがポンポン浮いてじつにアグレッシブ。ルックスこそ似ているが、スポーツ志向のZ1000Rに対しオールラウンドなZ1100Rと、意外や性格の違いを感じたものだ。

カワサキはZ1100Rと同年の1984年、次世代を託したGPZ900Rをリリースした。そうしてビッグバイクのトレンドは水冷エンジン+カウリング装備へと移行し、900Super4[Z1]から始まった空冷Zは終焉を迎える。ゆえにZ1000R/Z1100Rは空冷Zの集大成として、確固たる存在を今に残すモデルとなった。

Z1100R

※画像は純正と一部仕様が異なります。(純正マフラーは左右2本出しになります。)

1100Rとなったエンブレム
段付きシートのシルエットはZ1000Rを継承
ビキニカウルもZ1000Rを継承
1089ccへと拡大されたエンジン

筆者プロフィール

宮城光

1962年生まれ。2輪・4輪において輝かしい実績を持つレーサーとして名を馳せ、現在ではモータージャーナリストとしてMotoGPの解説など多方面で活躍中。2022年、バイク未来総研所長就任。