※画像は1974年~のZ1Aです。(エンジン色等、一部仕様が異なります)

900Super4 諸元

発売年 1972年 生産 国内 全長 2200mm
全幅 865mm 全高 1170mm 重量 230kg
最高出力 82PS /
8,500rpm
最大
トルク
7.5kg·m /
7,000 rpm
エンジン 空冷4ストローク
DOHC2バルブ
並列4気筒
排気量 903cc 諸元表は1972年当時のものとなります。

私がモリワキエンジニアリングでレース活動をしていた1983年ごろ、空冷Zのエンジンを搭載するモリワキ・モンスターでとことん走り込んで練習を重ねていた。そして私がどんなにハードなライディングをしても、Zのエンジンが音を上げることは決して無かった。

世界を見据えた熾烈な戦い

――カワサキは造船や航空機、鉄道など日本の三大重工企業の一角である川崎重工グループの一員。しかしバイク製造に着手したのは現在の国内4メーカーの中で最後発の1953年。そして1960年にバイク老舗メーカーの目黒製作所と手を結んで本格的にアメリカ市場に乗り出し、60年代半ばには次期世界戦略車の開発に力を注いでいた。純カワサキとして初の4ストロークエンジンで、750ccのDOHC4気筒。1969年秋の発売に向けて秘密裏に開発が進められ、1968年3月の時点でエンジンはほぼ完成しており、最高出力は73馬力をはじき出していた

極限まで幅を絞ったエンジンヘッド
面取りされた美しいカバー

しかし発売目前の1968年10月に開催された東京モーターショーで、ホンダがドリームCB750FOURを発表。最高出力はカワサキが上回り、メカニズム的にもCBのSOHCに対してDOHCだったが「750ccの4気筒」という部分はあまりに似通っていた。

カワサキはこのまま車両を完成させて販売しても、二番煎じの感は否めず成功は難しいと判断し、計画を変更。排気量を900ccに拡大し、打倒ホンダの旗印の元すべてにおいてCB750FOURを上回るバイクの開発をスタートさせた。そしてCBの発売から3年後の1972年、900Super4[Z1]が誕生した。車名より型式のZ1の呼称が有名だが、アルファベットの最後の文字であるZに、「最高のもの、最後のもの」という想いを込めて名付けた。

900 Super4
900 Super4
900 Super4

排気量903ccの4気筒は、ボア×ストローク66×66mmのスクエアタイプ。性能を出すならボアの方がストロークより大きいショートストロークの方が有利なのは解っていたが、いずれZ1の排気量を超えるライバル車が登場することを見据え、ボアを広げるだけで1200cc程度まで排気量を拡大できるようにスクエアを選択している。

吸気/排気で2本のカムシャフトを持つDOHCはシリンダーヘッドがかなり大きくなり、ライダーがバイクに跨ったときに膝に干渉する。そこでカムシャフトを支える軸受けの内で、シャフト両端の軸受けを無くしてシリンダーヘッドの幅を狭めた。それでも強度を保てるように、カムシャフトは高品質なクロモリで作られている。

こだわり抜いたディティール

当時の海外における整備作業の環境はお世辞にも良いとは言えず、埃の立つ土間でエンジンを分解することもあった。そこでクランクシャフトはあえて組み立て式を選択し、軸受けはニードルベアリングを使い、ゴミなどの混入に対する耐久性を持たせている。後の排気量拡大や出力アップにも対応できるよう、強度の確保にはとことん拘った。

デザイン面では、当時アメリカで人気のあったティアドロップ(涙滴)型の燃料タンクを採用。Z1や国内モデルのZ2の燃料タンクは「内プレス」と呼ばれ、タンクの側面と底面の溶接部が目立たないように、車体の内側に追い込んだ凝った作りになる。これも燃料タンクのシルエットを際立たせるために選択した手法。燃料タンクから繋がるサイドカバーや、フラットなシートの後ろに設けたテールカウルもスピード感に溢れ、ライダー側に大きく傾けたスピード/タコメーターに砲弾型のカバーを設けたり、4本出しのマフラーの形状も車両をトータルで見た時のスタイルやスピード感を強く意識したという。

内プレスのタンク
先端技術の詰まったDOHCエンジン

バックミラーはカバーを設け、視界の調整は中の鏡体だけが動く凝った作り。ライダーたちの間では「Z2ミラー」と呼ばれ、愛車のカスタムに流用する者も多く、アフターパーツとしても似た形状のミラーが数多く出回った。

エンジンもスピード感やシャープさを際立たせるために、ジェネレーターやポイントカバー、クラッチカバーなどを美しく「面取り」しているが、強度や軽量化にもつながる部分だけに、何種類も意匠図面を描いたといわれる。そしてCB750FOURと差別化を図るため、Z1はエンジンをブラックにペイントする。コスト増や後に塗装が剝がれる懸念もあったが、ホンダへの対抗心が勝った部分である。

カバーが設けられたミラー
砲弾型に整えたメーターカバー

こうして打倒ホンダと世界一を目指して誕生した900Super4[Z1]は、アメリカはもちろん世界中で大ヒット。カタログで謳った最高出力82馬力が発揮する最高速度200km/hオーバー、0-400m加速12.0秒は間違いなく当時の世界一で、いわゆるカタログ値ではなく実数値だった。ちなみに当時は自主規制の排気量上限により、900Super4[Z1]は輸出専用モデルとなり、国内ではボア×ストロークを64×58mmにショートストローク化した746ccの750RS[Z2]を発売。最高出力は69馬力で、国内の4ストローク車で最強。これを上回るのは同じカワサキの2ストローク3気筒の750SS(74馬力)だけだった。

そしてZ1は予見した通り、後に登場するライバル車に対応し、ボアを広げて排気量を1015ccに拡大したZ1000系から、スポーツ向けに軽量・コンパクトにリファインした998ccのZ1000J系/R系、余裕のある1089ccのZ1100/GPZ1100系へと進化し、10年以上も世界のビッグバイク界に君臨した。ちなみにアメリカではZ1000J系をベースする白バイのZ1000Pが2005年まで生産していた。

メーター
威風堂々としたサイドカバーのエンブレム

メンテナンス性の良さ

レースにおいてもアメリカのAMAスーパーバイクや、ヨーロッパの耐久選手権でもZをベースとするマシンが活躍。またZ系のエンジンは様々なチューニング手法が確立し、ピストンやカムシャフトなどエンジン系のアフターパーツも数多くリリースされる。

初採用のオイルチェック窓
油圧ディスクブレーキ

現在もZ1からなるZ系は絶版車としての人気だけでなく、カスタムやチューニングも盛んである。これはZ1の空冷4気筒DOHCエンジンの素性や基本性能の高さを証明するものだが、他にも「メンテナンス性の良さ」が大きな理由だろう。

Z1系はフレームにエンジンを搭載した状態で、腰上(クランケースから上の部位)のすべてのメンテナンスや分解が可能で、これはZ1の開発時に絶対条件として決まっていた。そして前述の強固な組み立て式のクランクシャフトや、ボアの拡大に余裕のあるシリンダーもカスタムやオーバーホールの際に有効。近代では当然の装備といえる「エンジンオイルのチェック窓」も、じつはZ1が初めて採用した機構だ。

不動の人気の理由

私は1983年の終盤、プライベートでモリワキ・モンスターを購入した。国際B級ライセンスに昇格し、84年から参戦する全日本TT-F1の練習のためだ。モリワキのオリジナル鉄フレームに空冷Zのエンジンを乗せたマシンで、岡山県の中山サーキットや鈴鹿サーキットをとことん走り込んだ。

そこで強く感じたのがZのエンジンのタフネスさ。購入時にオーバーホールをして、それから半年くらいはエンジンを開けなかったが、まったくノントラブルで振動が出たり性能が落ちることも感じ無かった。これはマージンを大きく取って、ヒートマス(熱容量)をしっかり確保した秀逸な設計によることは間違いない。

その後もアルミフレームのモリワキ・モンスターで練習したり、様々なカムシャフトをテストしたりしたが、エンジンが壊れたり不調をきたした記憶はない。このタフネスさこそが、世界中のあらゆるレースで空冷Zのエンジンが活躍してきた理由だろう。

世界一を目指した性能はもちろん、未来を見据えた発展性のある設計や、バイクショップやユーザーの利となる強固な作りやメンテナンス性の高さこそが、900supur4[Z1]の不動の人気を支えているのだ。

筆者プロフィール

宮城光

1962年生まれ。2輪・4輪において輝かしい実績を持つレーサーとして名を馳せ、現在ではモータージャーナリストとしてMotoGPの解説など多方面で活躍中。2022年、バイク未来総研所長就任。