※画像は1969年~のK0砂型です。

CB750FOUR 諸元

発売年 1969年 生産 国内 全長 2160mm
全幅 885mm 全高 1120mm 重量 235kg
最高出力 67PS /
8,000rpm
最大
トルク
6.1kg·m /
7,000 rpm
エンジン 空冷4ストローク
SOHC2バルブ
並列4気筒
排気量 736cc 諸元表は1969年当時のものとなります。

私は1992年に渡米してレース活動を行っていたが、じつはその間にドリームCB750FOURを所有していた時期がある。重厚な乗り味はもちろんだが、CB750FOURに乗ることでアメリカのバイク文化に深く触れられた、非常に思い出深いバイクである。

世界に挑んだ「ナナハン」

――ラインナップから販売台数まで、オートバイ界の絶対王者と呼んでも過言ではないメーカーと言えるホンダは、戦後間もない1946年に本田宗一郎氏が創業。当時の国内で乱立していたバイクメーカーの中で大奮闘し、レースに挑戦して世界に名を馳せた逸話は枚挙にいとまがない。

そのホンダが巨大なオートバイ市場であるアメリカをターゲットに定め、現地法人のアメリカン・ホンダモーターを設立したのが1959年。初めてマン島TTレースに参戦した年でもあった。

その後の世界GPレースでの快進撃や、市場に投入したスーパーカブの大ヒットもあり、ホンダはアメリカで認められて行く。しかし大排気量スポーツにおいては英国メーカーの壁が厚かった。レースイメージの強いドリームCB72も人気を博したが、いかんせん250ccでは英国の500ccや650ccにはかなわない。1965年には、英国車に性能で上回るCB450を投入するも、米国好みの威風堂々ではなかったため、販売的には成功を収められなかった。

そこでホンダは徹底的にマーケット・リサーチを行うとともに、絶対的に世界最高の性能を持つビッグバイクの開発を決断した。それがドリームCB750FOURである。

750のエンブレムが際立つサイドカバー

1960年代には英国車のさらなる排気量拡大が予想されたことから排気量を750ccと定め、GPレースを制覇した高性能イメージを強く体現するため直列4気筒を選択。ちなみに、後の750ccのバイクが「ナナハン」と呼ばれるようになったのは、CB750FOURの開発時に国内外のライバル社に察知されないよう機密保持のために社内ではナナハンと呼び、それを雑誌記者が一般に広めた……というのが定説である。

CB750 Four
CB750 Four
CB750 Four

世界トップクラス 最新技術の宝庫

市販車の4気筒モデルはMVアグスタの600が存在したが、この車両は希少なプレミアムモデルでプライスも当時の大型バイクの2倍以上もした。そのため、実質的に4気筒の市販量産車はCB750FOURが初といわれているのだ。そして高性能な多気筒エンジンを誇示するために、キャブレターは4連でマフラーも4本出しとするが、この他にも様々な新機構を採用していた。

エンジンの要となるクランクシャフトは当時は分割構造が一般的だったが、CB750FOURは一体式鍛造で製作。それに伴いコンロッドは分割式となったが、いずれも緻密な設計と高い生産技術が無ければ不可能。クランクシャフトを支える高速プレーンメタルは「走る実験室」と呼ばれた四輪F1で培った技術という。

トランスミッションも斬新で、当時は二軸の水平配置が一般的だったが、CB750FOURは3軸の三角配置とし、クランクシャフトから動力を伝達するプライマリーチェーンを、エンジンの中央にレイアウトした。大きな4気筒エンジンの幅を、乗りやすくするために極力狭くするための配慮だが、これは現代のスーパースポーツ車の超コンパクトなエンジンの3軸配置にも通じる設計。しかもCB750FOURはトランスミッションを3軸としたため、クランクシャフトが逆回転(車体を右側から見た時に左回転)となる。現在のMotoGPマシンはハンドリング特性を追求して、すべての車両が逆回転クランクを採用しているが、結果としてCB750FOURも、このエンジン構造が良好なハンドリングに寄与したといえるのではないだろうか。

純正の4連キャブレター
最新技術の詰まった4気筒エンジン

そんな高性能エンジンと共に世界のバイクファンを沸かせたのが、油圧式のディスクブレーキで、強力なエンジンが生み出すスピードを制御するために必須だった。これも市販量産車で世界初の装備で、CB750FOUR以降のスポーツバイクは国内外を問わずディスクブレーキ化が進んだのだ。

しかし4気筒750ccが発揮するパワーは尋常でなく、当時はこのパワーに対応するタイヤが存在しなかった。走行テストを行うと摩耗が異常に早かったり、トレッド面が剥離してボロボロになることも多く、高速走行時の操縦安定性にも問題が生じたという。それを解決するためにホンダはタイヤメーカーのダンロップに依頼し、CB750FOURの性能に応えられる専用タイヤ(フロント:F11、リヤ:K87)を開発した。

こうして生まれたCB750FOURは、最高出力67馬力、最高速度200km/h、1/4マイル(0-400m)加速12.6秒という圧倒的な性能を発揮。1968年10月に開催された東京モーターショーで展示され、その衝撃は瞬く間に世界に広がった。そして1969年4月にアメリカで発売され、空前の大ヒットを収めた。

4本マフラー
量産市販車初の油圧ディスクブレーキ

砂型鋳造のクランクケース

CBファンには有名だが、CB750FOURの最初期はクランクケースを砂型鋳造で製作していた。本来、砂型鋳造は少量向けの生産方法だが、これはホンダがCB750FOURを月産600台程度と見込んだためだった。しかし実際に販売を開始すると月に2000台もの注文が殺到したため、急遽ホンダは月産3000台ペースに拡大し、大量生産に対応するため金型鋳造方式に切り替えたのだ。CB750FOURの人気が想定を超えていたことを伺えるエピソードだ。ちなみにクランクケースを砂型鋳造で生産したのは7000台程度で、多くがアメリカに輸出されたため、国内では非常に希少なモデルとなっている。

ちなみに私がアメリカ時代に所有していたCB750FOURは、(正確な型式は不明だが)おそらくはK1~K2型の比較的初期のモデルで、キャンディブルーのペイントが美しいフルレストアされた完全ノーマル車。1995年頃からSS600全米選手権などと並行して本格的なヴィンテージレースにも参戦しており、その関係者から購入させて頂いた車両だった。

クランクケースの100番台の刻印
砂型は表面が粗く、固有の味わいがある

作り込みの美しさはもちろんだが、4連キャブレーが奏でる吸気音と4本マフラーが発するエキゾーストノートのハーモニーは格別。そして綺麗にレストアされた古いバイクに乗っていると、同好の士からよく声をかけられた。そこでは単純にバイク談義というだけでなく、旧い物を大事に長く扱うアメリカの文化を感じることができた。

この時CB750FOURに乗った経験は、ヴィンテージレースで培ったライディングの技術やメカニズムの知識と共に、現在行っているホンダ・コレクションホールでの動態確認テスト担当の業務にも繋がっていると思う。

初期に採用された1本引きスロットルワイヤー
左スイッチボックス

社会現象を経て遠い憧れに

そしてCB750FOURはアメリカに遅れること4か月、1969年の8月に国内販売を開始する。群を抜く性能と圧倒的な迫力は、もちろん日本でも大人気を博した。しかし人気の高さゆえ、ライダーの増加に比例して事故も増えた。それが「日本国内では750ccを超えるバイクを販売しない」というメーカーの自主規制を生み出したともいえる。(排気量上限の自主規制は1990年に撤廃)。

また「大排気量車はスピードが出る=暴走族を助長」という見識から、CB750FOURの発売から6年後の1975年にはオートバイの免許制度が改訂され、教習所では400ccまでの中型限定自動免許までしか取得できなくなり、大型バイクに乗るには試験場で「限定解除」が必要となった。実質的に国内での最大排気量は750ccとなり、しかも750ccに乗るための免許は取得するのが非常に困難……。これが、かえってナナハンへの憧れを強めたともいえる。

ホンダのドリームCB750FOURの登場は、スポーツバイクの基準を書き換えただけでなく、交通環境や当時の若者たちの文化にも影響を与えた。それほどまで大きな存在だったのは間違いない。

メーター

筆者プロフィール

宮城光

1962年生まれ。2輪・4輪において輝かしい実績を持つレーサーとして名を馳せ、現在ではモータージャーナリストとしてMotoGPの解説など多方面で活躍中。2022年、バイク未来総研所長就任。